今回は、ニューヨークで活動している作編曲家・ピアニストの宮嶋みぎわさんから刺激を預かってきました。一般の社会人を経験したのち、30歳で音楽家に転身。貯金が底をつくまで自分の夢を追いかけて、ニューヨークへ。あるきっかけで、学生時代にVanguard Jazz Orchestraの曲に出会い、そこから、憧れのVanguard Jazz Orchestraの副プロデューサー・日本代理人となった宮嶋さん。独特の感性で、日本とニューヨークの架け橋をされています。枠にとらわれない宮嶋さんの生き方に刺激をもらいました!

宮嶋 みぎわMigiwa Miyazima

宮嶋みぎわさんのTwitter
茨城県の公式ネットTVで始まった宮嶋さんの番組

宮嶋さんの子ども時代

Redox.

現在、作編曲家となった宮嶋さんですが、小さいころから音楽をやっていたのでしょうか?

宮嶋 みぎわ

ピアノは3歳から弾いていました。6歳で作曲をして、15歳では作曲コンテスト全国大会で優勝、でも、音楽一本でご飯を食べていくまで考えることはできませんでした。もし音大に行くとなると、小学生くらいから受験勉強をしなければならないのですが、小学生だった私は、毎日音楽のことばっかりしているのはダメな気がすると思っていたのです。理科とか社会とか算数とかを勉強したほうがいいと小学生ながらに考えていました。(笑)

Redox.

かなりしっかりした小学生ですね。(笑)音大に行くことは諦めたのですか?

宮嶋 みぎわ

そうですね。ずっと悩んでいましたが、高3の進路を決めるときに、音大は諦めて普通の大学に行くことにしました。そもそも、私の住んでいたところが田舎だったので、周りに音楽家がいなかったんです。なので、音楽でご飯を食べていくイメージが全然できませんでした。(笑)

ep18-1
(副プロデューサー・日本代理人を勤めるVanguard Jazz Orchestraのコンサートにピアニストとして参加することも)

音楽と離れた生活で魂が抜けた日々

Redox.

大学に入学してからは音楽にどう携わっていたのでしょうか?

宮嶋 みぎわ

それが、『音大に行かない』と決めたときに自我の崩壊が起きて、もう音楽は一切やらない気持ちになってしまったのです。大好きだったピアノもやめて、大学では勉強に集中しましたが、なぜかいつも体調が優れなくて。(笑)今思うと、音楽をやめたことで魂が死んでいたのだと思います。(笑)

Redox.

ピアノをすることが宮嶋さんの生活の一部になっていたんですね。(笑)そこから、どうやってピアノをもう一度弾こうと思うようになったのですか?

宮嶋 みぎわ

実は、大学でできた親友が「どうやらこいつ音楽が好きなんだな」って気づきだしたんです。(笑)高校生のとき趣味でピアノの弾き語りを録音していたことを彼女たちに話すと「聴きたい聴きたい。」って言うので聞かせたら、「すごい!!みぎわ!」って褒めてくれて。
その友だちは、私が音楽を本当に愛しているけど、なにかの理由でなにもしていないことに薄々気づいたようなのです。(笑)

 

親友がジャズの世界に導く

Redox.

友だちが徐々に宮嶋さんの本当にやりたいことに気づきだしたんですね。

宮嶋 みぎわ

2年生の4月、新歓の時期に、友だちと習い事の話をしていました。みんないろんなことをしている中で、私は虚弱体質だから今年もなにもできないかなと言うと、1番の親友が指をばっと私の顔に向けて『いや、みぎわは逃げてるだけだ!!!!!!』って真顔で言ってきたんです。(笑)『その具合が悪いのはピアノを弾いたら治ると思う。クラシックピアノで挫折したなら、ジャズピアノをやればいいじゃん!』って言ってくれました。その子は帰国子女で、アメリカンスクールに行っていたからジャズのことを知っていたんです。

Redox.

すごい友だちですね。(笑)そこから、自主的にジャズピアノをしようと思ったのでしょうか?

宮嶋 みぎわ

それが、さっきの話に続きがありまして、アドバイスをしたあと私の手首をガッて掴んで、新歓の方に向かったんです。それからジャズサークルを探して、ぐわーーーーって連れて行かれました。(笑)
無理やり連れて行かれた入部カウンターで、その友だちが『この子が入りたいそうです!』って言ったんです。『この子は一時は音大受験も考えたほどのピアノの腕前で、作曲で賞を取ったこもあるので、アドリブも出来るはずです』って説明しちゃって。私はなにも言ってないのに(笑)期待の新人だ!と思った先輩たちに更に強力に勧誘されて、結局入部したんですよ、私。

Redox.

その親友が宮嶋さんをジャズピアノの世界へ導いてくれたんですね。

宮嶋 みぎわ

その親友は今でも親友なんですけどね。(笑)それで、ガッチリ捕獲されたサークルの先輩に「これが私たちがやっている音楽です」とデモテープを渡されました。実は、そのとき聞いたデモテープのジャズオーケストラと、今一緒に仕事をしているんです。

ep18-2
(ニューヨークでのレコーディング風景。世界的なサックス奏者Steve Wilson氏と。この現場では宮嶋さんはプロデューサー・アレンジャー・ピアニストとして参加。)

 

ジャズの世界に浸かっていく

Redox.

映画みたいな話ですね!(興奮)みぎわさんはそのデモテープを聞いてジャズの世界に入っていったのでしょうか?

宮嶋 みぎわ

デモテープを聞くまではそのジャンルは知りませんでした。クラシックしか知らなかった私には、ピアニストというと大ホールで単独でピアノを弾くというイメージだったのですが、この”ジャズオーケストラ”というジャンルでは、みんなと一緒に弾ことができると知りました。
『こんなリズミックでかっこいい音楽があるんだ!私が知っているピアノと全然違う!』と思って、一気にジャズの世界観にはまりましたね。(笑)

 

Redox.

宮嶋さんはジャズという新しい分野に熱中していったんですね。体調はよくなりましたか?(笑)

宮嶋 みぎわ

はい。ピアノに携わるようになって体調不良は治りました。(笑)

Redox.

(笑)宮嶋さんにとってピアノはなくてはならないものですね。大学卒業後、企業に入社した宮嶋さんはジャズピアノを続けていたのでしょうか?

 

趣味と仕事の両立

宮嶋 みぎわ

社会人になってからは、平日は仕事をして、土日はジャズピアノに携わっていました。アマチュア時代、全曲オリジナル曲を演奏するビッグバンドmiggy+(ミギーオーギュメント)を立ち上げたんですが、人気が出てきて、ライブのチケットが毎回ソールドアウトするようになっていったのです。
一方、会社では編集の仕事をしていましたが自分も部下を持つようになり、仕事と趣味の両立が厳しくなっていきました。

Redox.

仕事も趣味もマキシマムのところまで来てしまったんですね。その状態になってから、どのように選択したのでしょうか?

宮嶋 みぎわ

いろんな理由があるのですが、一つは仕事と趣味がぶつかってしまって、なにに人生をかけるべきなのかを考えるようになりました。
もう一つは、部下を持つようになり、会社の意見を代弁する立場になったことで”私の本当に意見ってなんだろう”と考えるようになったことです。会社の代表として部下に接する場合、自分のポリシーとは違うことを言わないといけない場合があるんですよ。例えば、新婚さんの部下。早く帰してあげたいけど仕事が残っていて、それが会社にとって必要な仕事だったら、遅くまで仕事をやらせないといけない…その仕事が完了しなかったら、他の人も影響を受けることになるわけですからね。
こういう事を無理なく出来る人も世の中にはいると思うのですが、私は強い葛藤を覚えるタイプで、ストレスが徐々に溜まっていったわけです。なので、これは、そろそろ決断しないといけないな、とある時決めたわけですね。

 

音楽家へ転身

Redox.

そこから、趣味のジャズピアノを選択したのは思い切った行動ですね!音楽一本に絞ってからはどういう生活を送りましたか?

宮嶋 みぎわ

会社を辞めて肩書きがなくなった状態は、正直辛かったですね。フリーランスなんて、自分の職業なんてなんとでも言えますから。ピアニストです、と言えば今日からピアニスト。役者ですって言えば役者。肩書があることで、自分がいかに精神的に守られていたかが分かりました。
お金のことも大変です。自分の通帳から毎日お金が減っていくわけですよ。しばらく増えることがないんです。「あぁまた減っている…」っていう感じですね。毎月お給料をもらえることがどれだけ特別なことか気づきました。

Redox.

すごいストレスが溜まりそうですね…

宮嶋 みぎわ

今までの私の仕事やお金の価値観が全部崩れていきましたね。『仕事ってなんなの?』『そもそも社会の中で、自分の価値ってなんかあるの?』と0から考えるようになったのです。
でも、会社にいたときと違って、自分でこの道を選び、飛び込んでいったので清々しさがありました。そのおかげで、ストレスはやわらいでいたと思います。

ep18-3
(2015年にプロデュースしたレコーディングの現場にて。日本とアメリカを繋いで良い作品を作るのは生きがいの一つ、と宮嶋さんは語る。)

 

チャンスから結果を残す

Redox.

初めはうまくいかなかったのですね。うまくいかなかったとき、宮嶋さんはどんなことをしたのでしょうか?

宮嶋 みぎわ

ニューヨークにあるジャズミュージシャンの聖地「Village Vanguard」ジャズ・クラブへ一人旅に行きました。そこで、「The Vanguard Jazz Orchestra」(以下VJOと略)のメンバーが1週間まるまる演奏するスペシャルウィークがあったので、毎日、一番前の席に陣取ってメモをとっていたんです。
私にとっては10代から憧れつづけたスター達なので、涙目でね(笑)。そうしたら、「きみ、絶対ミュージシャンだよね?」って声をかけられまして。(笑)
いろいろ話をして、彼らは、日本ツアーに興味があると分かったのです。CD販売履歴を見ると圧倒的に日本が多かったそうで、ファンがいることは把握していたらしいのです。日本は、ジャズ教育の浸透は遅れていますが、実はジャズが大好きなファンはものすごくたくさんいるんです。私は『チャンスだ!』と思いました。
普段からジャズ教育の機会が少ないことに問題意識を持っていたので、ジャズを通じて世界と交流していくことを活動方針に据えているVJOを連れて行くしかない!と。そして、VJOとしては初の、前身となったバンドから数えても20年ぶりの日本ツアーを手伝うことになりました!

Redox.

すごい展開になったのですね!(笑)初の日本ツアーということで、お客さんを集めるだけでも大変そうですが、それは成功したのでしょうか?

宮嶋 みぎわ

ブルーノート東京という場所で、4日間ライブをさせていただきました。20年ぶりということで上手くいくかどうかをライブ会場の皆さんは大変心配されていましたが、私は「絶対に成功させてやる」という気持ちでできることの全てをやり尽くしました。
すると、4日間8公演のチケットが全部売り切れて大成功したのです!その私の働きを見て、Vanguard Jazz Orchestraから正式に日本人代理人に就任するオファーが来たのです。

Redox.

アメリカンドリームを掴んだのですね!(笑)

宮嶋 みぎわ

まさか、大学で初めて聴いたジャズオーケストラの人と仕事をするなんて思ってもいなかったので、本当に感動しました。(笑)

ep18-4
(宮嶋さんは、その後Vanguard Jazz Orchestraの副プロデューサー・クリエイティブディレクターとしてCD製作に参加。第54回、第57回の2度、グラミー賞にノミネートされた。)

VanguardJazzOrchestraの楽曲
(リンク先ではBGMが流れますので音量にご注意ください。)

日本で英語をマスター

Redox.

本当に、かっこよすぎます。(笑)ちなみに、宮嶋さんは元々英語を話すことができたのでしょうか?

宮嶋 みぎわ

初めは喋ることはできませんでした。ですが、絶対喋れるようになってVJOと仕事がらくらく出来るようになりたかったので、ありとあらゆることを試してみましたよ!
最終的に、一番効率がいいのはインプットとアウトプットを分けることだとわかって、インプットはNHKのラジオ英会話、アウトプットはスカイプで受けられるネット講座を毎日やりました。1年半で英語で仕事が出来るレベルになりましたよ。

生き方のサンプルになりたい

Redox.

留学に行かなくても、英語を話せるようになったんですね。僕も参考にさせていただきます!では最後に、今後、宮嶋さんはどういう生き方をしていきたいでしょうか?

宮嶋 みぎわ

私は『目立ちたい』とか『有名になりたい』と思ったことがほとんどないんです。でも今は、私のような変わった生き方でも良いっていうことが、私の名前が知れて世間に広まったら、皆さんの生き方のサンプルになっていけるのかな、だとしたら素敵だな、と思っています。
日本では、”大人はこういう生き方しないとダメですよ”って、枠を作ってその中に人々を無理やり入れようとする風潮がありませんか? そのせいで自分の実力が出せなくて苦しんでいる方が結構いるように思うのです。
私は会社をやめた時にその枠を壊しちゃたから、枠に守ってもらえない大変な人生を過ごしました。辛いこともあったわけですが、そのお陰で、なかなかよい仕事も色々出来るようになったわけです。
だからわたし、こういう生き方をしています。こんなサンプルありますよ。このサンプルから盗めるところを盗んでください。
って、いちサンプルとして、勇気を持って世の中に提示していけるようになりたいですよね。

あとがき


小さいころから作曲の才能を発揮していたが、
普通の大学に進学したことで、一度音楽から離れた宮嶋さん。
大学では、音楽に携わることなんてないと思っていたが、
親友が宮嶋さんをジャズの世界へ導く。
そのころ聴いたVanguard Jazz Orchestraの曲で
一気にジャズの世界に引き込まれた。
大学卒業後は社会人になり、趣味でジャズ活動をしていたが、
趣味と仕事の両立がうまくいかないとわかり、
思い切って音楽家の道を選択した。
リスクはあったかもしれない。
でも、宮嶋さんは自分のポリシーを信じて、
憧れのVanguard Jazz Orchestraと仕事をするまでになった。「枠にとらわれない考え方、生き方のサンプルになりたい」
と宮嶋さんは目を輝かせて話してくれました。宮嶋さんのこれからのご活躍に期待しています!!!